今回は、「モンスの天使事件」と呼ばれる、第一次世界大戦中にベルギーのモンスで起きた奇跡についてご紹介します。
敵に包囲されてしまったイギリス軍の兵士たちの前に現れた天使。イギリス軍は天使たちのおかげで窮地を脱することに成功!この奇跡はヨーロッパ中に広まりました。
この「モンスの天使事件」と呼ばれる奇跡は本当に起きたことなのでしょか。それとも…
奇跡の概要
モンスはベルギーの南部、ワロン地域にある都市です。
第一次世界大戦中の1914年8月23日、イギリス軍はベルギー軍を助けるためにドイツ軍とこの場所で戦っていました。しかし、前線で孤立してしまったイギリス軍はドイツ軍に包囲され、絶望的な状況に陥ってしまいます。
イギリス軍の兵士たちは、全滅も覚悟し、もはや守護聖人である聖ジョージに祈るしかありませんでした。
すると、そのとき、奇跡が起こりました。
辺り一面が閃光に包まれると、光の中から弓を持った兵士たちの軍団が現れ、ドイツ軍に対して一斉に矢を放ちました。
数千人のドイツ兵たちは次々に倒れ、イギリス軍の兵士たちは、その隙に戦場から撤退し、窮地を脱することができました。
その場にいた兵士たちの証言によると、光の中から現れた兵士たちは確かに弓で矢を放っていましたが、不思議なことに倒れていたドイツ兵たちの体には何も傷が残されていなかったと言います。
また、帰還した兵士たちは、「天使たちがカーテンのようなバリアで守ってくれた」「聖母マリアが負傷した兵士の手当てをしてくれた」などとも証言し、これらの出来事は、「モンスの天使事件」と呼ばれるようになりました。
アーサー・マッケンの反論
この奇跡は、イギリス国内にとどまらずヨーロッパ中に噂が広がりました。
しかし、作家のアーサー・マッケンは、自身が書いた小説”弓兵・戦争伝説”が、この話の出所だとして「モンスの天使」は作り話だと主張しました。
この小説は、1914年9月29日に、イブニング・ニューズ誌に発表されたもので、奇跡の噂が広まった時期と重なります。
「モンスの天使」事件があったのは、1914年8月23日のことでした。
そして、このマッケンの小説の内容は次のようなものでした。
・前線のイギリス兵がドイツ軍に包囲されていた。 ・包囲されたイギリス兵たちは、もはや聖ジョージに祈るしかなかった。 ・そのとき、兵士たちの前に閃光に包まれた弓兵が現れ、ドイツ兵に向かって矢を放ちはじめた。 ・数千人ものドイツ兵たちは次々に倒され、イギリス兵たちはその場から脱することができた。
このように、小説の内容は、奇跡として広まっていた話の内容そのものでした。
また、マッケンの主張によると、当時の新聞にはモンスでの戦いに敗れた兵士たちが奇跡的に帰還したことが書き立てられていて、それにヒントを得て物語を書いたとしています。そして、自国の士気を高めるために新聞社などが、この物語を事実として広めたのではないかと言います。
しかし、このマッケンの主張に対する反論もあります。
ジョン・チャタリスの手紙
陸軍准将のジョン・チャタリスは、戦場から妻に宛てて多くの手紙を書いていました。そして、手紙のなかには、戦場でモンスの天使を目撃したという内容のものもあるとチャタリスは主張しました。
手紙の日付は、マッケンの小説が発表されるよりも三週間早い1914年の9月5日。
チャタリスは、このとき総司令部の情報部長という立場でした。そのため、このような機密事項を知っていてもおかしくはありません。もし、この手紙が事実であるならば、小説が出所だというマッケンの主張は覆されることになります。
ただし、この手紙の存在が公表されたのは、1931年になってからでした。
また、このチャタリスの主張を検証したところ、彼がモンスの天使について言及したとする9月5日付の手紙は発見されませんでした。
ダニー・サリバンが発見した資料
1999年、超常現象研究家のダニー・サリバンは、イギリスの骨董品店で第一次世界大戦に関する資料を発見しました。その中には、モンスの戦いに参加した兵士の手紙や、天使の姿を捉えたフィルムが入っていました。
手紙を書いたのは、ウィリアム・ディジーという軍人。
ディジーは、1914年のモンスの戦いに参加した際、天使を目撃。その後、戦争が終わった後も「モンスの天使」を探し求めていたことが、手紙に書かれていました。
ディジーは戦争中に現地の女性と恋に落ちましたが、離れ離れになってしまいました。そのため、モンスの天使を探し当てることができたならば、その女性と再会できると信じていました。
1952年、ディジーはついにモンスの天使を見つけることができました。そして、一緒に発見されたフィルムにはディジーが撮影した天使の姿も収められていたのです。
この、ディジーの手紙とフィルムを発見したサリバンは、ホームページを立ち上げ、これらの資料を発見した経緯や、手紙に書かれていた逸話を紹介しました。
すると、このホームページを見たハリウッドの映画監督トニー・ケイは、フィルムは本物だと確信し、俳優のマーロン・ブランドと共同でフィルムを50万ポンドで買い取りました。当時の相場で約8800万円でした。
当時のタブロイド紙には、トニー・ケイ監督が「このフィルムで天使の存在が証明された」と述べたことが報じられ、映画のクライマックスシーンでこのフィルムを使う予定であることが明かされていました。
しかし、2002年にラジオ番組に出演したサリバンは、手紙やフィルムの話は捏造だったと語りだしました。骨董品店には行ったものの、何も買わずに帰ってきたと言います。
このサリバンの告白に対して、骨董品店のオーナーは「サリバンが店からフィルムや書類などを買っていったのは事実」だと真っ向から反論しています。
どちらの話が本当なのでしょうか。
どちらの主張が本当なのかはわかりませんが、突然のサリバンの告白に多くの人が驚きました。
サリバンは、1992年に出版した「ウッドチェスター・マンション」という本がまったく売れておらず、モンスの天使を利用して、この本を宣伝しようとしたのではないかとも言われています。
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