マッド・ガッサーは、人気のゲームシリーズ「女神転生」や「ソウルハッカーズ」、ライトノベルの「マジカル・シティ・ナイト」などに登場してくるため、名前を知っている人も多いと思います。
これらに登場するマッド・ガッサーはゲームや物語上の架空のものではなく、1933年と1944年の二度に渡って引き起こされた毒ガス事件がモデルとなっています。
この事件の真相はわかっておらず、一部では犯人について「宇宙人説」や「未知の怪人説」、「人体実験説」なども囁かれ、都市伝説となっています。はたして犯人はいったい誰なのでしょうか?事件の真相に迫ります…。
最初の事件
1933年、ドイツではアドルフ・ヒトラーが首相に就任しナチスが政権を獲得。キューバでもクーデターによって軍事政権が誕生。世界は地獄への道を歩み初めていました。
そんな時代、アメリカではフランクリン・ルーズベルトが第32代アメリカ大統領に就任。1920年から続いていた禁酒法も廃止され、シカゴでは万国博覧会を開催。世界の世情とは反対に、アメリカの人々は希望に満ち溢れていました。
しかし、12月、突然悪魔がやってきます。
クリスマス間近の12月22日、バージニア州ボトトート郡の小さな町、ヘイマーカーの民家で最初の犯行が行われました。この民家に住んでいたのは、ハフマン夫妻と娘のアリス。ごく普通の三人家族の家庭でした。
夕食を済ませた後、家族は自宅のリビングでくつろいでいましたが、突如、窓の隙間からガスが入りこんできました。最初は、甘い香りで心地よさも感じていましたが、次第に夫人は吐き気に襲われ、立っていられないほど具合が悪くなってしまいました。さらに娘のアリスは一時的に意識を失い、数週間、後遺症に苦しむほど危険な状態でした。
妻や娘の様子を見た夫は、身の危険を感じたため家族を連れて家から避難することにしました。地主であるヘンダーソン家に逃げ込んだハフマン氏は、警察に連絡した後、ヘンダーソンの息子アシュビーを連れて、様子を見るために再び自宅へと戻りました。
ハフマン氏とアシュビー、そして通報で駆けつけた警察官は、原因を探るために家の周囲を見張ることにしました。三人で見張っているときには特に異常はありませんでした。しかし、警察官が無線で呼び出され別の現場へと行ってしまった直後、再び攻撃が始まります。まるで、警察官がいなくなるのを待っていたかのようでした。
家の周囲にガスの匂いが漂いはじめ、ハフマン氏とアシュビーは吐き気と頭痛に襲われました。このとき、二人は現場から逃げていく筋肉質な男の人影を見ています。しかし、後日行われた現場検証では、ガスによる攻撃を行ったと思われる窓の下から「女性用の靴」の足跡が発見されました。そのため、犯人は男性なのか女性なのか、はっきりとはしませんでした。
このハフマン家への攻撃を皮切りに、次々と同様の事件が起こりはじめます。
マッド・ガッサーの誕生
次の事件が起きたのは、二日後の12月24日。最初の事件が起きたヘイマーカーからすぐ近くのクオーバーデールに住む家族の家で起こりました。
この日は日曜日。午前9時頃、子供2人を連れて教会の礼拝から帰ってきた夫婦は家の中に甘い匂いが充満していることに気が付きます。そして、すぐに目眩がして吐き気に襲われました。
警察が現場を調べたところ、ガスの濃度が高かった場所の壁からは釘が引き抜かれていて、そこから毒ガスを注入されたものと考えられました。
この時期、同じような事件が集中して起こり始め、人々は正体不明の犯人を恐れ始めます。そして、住人たちは、いつしか犯人のことを「マッド・ガッサー(狂ったガス野郎)」と呼び始めるようになりました。
マッド・ガッサーの犯行と思われる事件はその後も続きますが、なかには模倣犯が行ったと思われるものもありました。子供がイタズラ目的で行ったものもありましたが、住民たちは恐怖におののき武装した自警団なども出現、町は騒然としました。
そして、翌年の2月9日、最後の犯行が行われ、この日を境にマッド・ガッサーは姿を消してしまいます。
1933年12月から翌年の2月まで行われた犯行。模倣犯と思われる事件も多かったため、正確な件数はわかっていませんが、少なくとも14件はマッド・ガッサーによって引き起こされたものと考えられています。
1944年、犯行の再開
10年の月日が流れ、世の中は第二次世界大戦の真っ只中。人々はマッド・ガッサーのことなど、すっかり忘れていました。しかし、1944年8月31日、突如、マッド・ガッサーによる犯行が再開されます。
新たな舞台は、前回の事件が起きたバージニア州から西に1000キロ以上離れた、イリノイ州コールズ軍の小さな町、マトゥーンでした。
8月31日の早朝、この町に住むアーバン氏は自宅のベッドルームで眠っていましたが、異臭に気がつき目を覚まします。何の匂いかわからずにベッドから出ようとしましたが、急に身体が重くなり、その場で嘔吐してしまいました。アーバン氏の妻も匂いに気が付きましたが、やはり異常な痺れを感じ、ベッドから起き上がることができませんでした。
このときアーバン氏は犯人の姿を目撃しており、マッド・ガッサーは黒い服装で頭にも黒い帽子、背は高かったと証言しています。
翌日にも、同じような事件が発生します。
9月1日の夜11時ごろ、自宅の寝室で眠っていたカーニー夫人は、息苦しさを感じて目を覚まします。最初は甘い匂いであったため、窓際に置いてあった花の香りだと思い、それを片付けて再び眠りにつこうと思いました。しかし、花を片付けても匂いは治らず、それどころか急に吐き気に襲われ下半身も麻痺してきました。
夫人は慌てて助けを呼んだため、同居していた妹が異変に気がついて駆けつけました。このとき、妹も甘い匂いを感じたといいます。
その後、仕事を終えて帰宅した夫は寝室の窓の付近に黒い服装に黒い帽子を被った背の高い人物を目撃しています。夫は帰宅した時には事件のことを知らなかったため、この不審な人物に声をかけませんでしたが、前日に起きた事件の犯人と同一人物だと思われます。
そして、この証言を元に描かれた犯人像が、今一般的に広がっているマッド・ガッサーの想像図となっています。

このほかにも、マッド・ガッサーによる犯行と思われる事件は毎日のように繰り返されました。
しかし、最初の事件から二週間後、9月13日の犯行を最後にマッド・ガッサーは姿を消してしまいました。最後の犯行でマッド・ガッサーに襲われた被害者は、「犯人は男物の服を着た女性だった」と証言しています。
マッド・ガッサーの正体
1944年9月13日に行われた犯行を最後に姿を消してしまったマッド・ガッサー。地元警察だけではなくFBIまでもが捜査に乗り出したにも関わらず、その正体はわかっていません。
事件が起きたアメリカでは、マッド・ガッサーの正体はUMAや宇宙人、あるいは未知の怪人なのではないかと言われることもあり都市伝説となっています。しかし、その一方で犯人像についての有力な説もいくつか推理されています。
ここからは、地元の警察による見解、そして巷で囁かれている「人体実験説」と「地元の青年による復讐説」についてご紹介します。
警察の見解
1944年の一連の事件が起きた後、地元の警察は「事件の多くは集団ヒステリーによって住民たちが過剰に反応しているにすぎない」と発表しています。
実際、マッド・ガッサーの噂が広まるにつれ、事件に便乗して近隣の住民に嫌がらせをする模倣犯や、面白がって真似した愉快犯などが増えていきました。これらの愉快犯や模倣犯は、いたずらが目的であったため、それほど大きな被害は出ませんでした。
しかし、住民たちはヒステリーになって過剰に反応しているというのが、警察側の言い分でした。警察は集団ヒステリー説を発表して以降、同じような事件の通報があってもまともに取り合わなくなりました。
この集団ヒステリー説、いくつかの事件はこれで説明できるかもしれません。ただし、最初に何かがあったからこそ、住民たちはパニックに陥り、ヒステリーを起こしたと考えられます。
では、最初に何が起きたのでしょうか?
警察は、それについては、地元の化学物質を取り扱う工場から「有毒物質」が漏れ出した可能性を指摘しています。そして、警察のこの発表を受けて、工場の責任者は「住民たちが訴える症状を引き起こす化学物質」を所持していることを認めています。
このように、有毒物質が漏れ出したことが原因となり、それ以降は住民がパニックを起こしたという警察の説明は、確かに説得力があるように思えます。しかし、これでは説明のできないこともあります。
この工場の周辺は住宅街となっていたため、多くの民家がありました。それにも関わらず、最初の事件があった日、工場の周辺では被害を訴える住民はいませんでした。また、工場の従業員のなかにも被害を訴えている人はいません。被害を訴えたのは工場から1キロ以上も離れた住民。しかも、たった1件の民家。
有毒物質が漏れ出したとするならば、もっと多くの被害が出ているはずです。また、黒い服装をした不審者についての説明もできません。そのため警察の見解には無理があると考える人も多くいました。
さらに、警察の発表が本当のことだったとしても、あくまでこれは1944年に起きた事件に限定した話です。1933年に起きた事件に関しては、これでは説明できません。
人体実験説
マッド・ガッサーが最初に登場した1933年は、ドイツでナチスが政権を獲得した年でした。また、次の事件が起きた1944年は、第二次世界大戦の真っ最中。そのため、軍事目的で毒ガスの人体実験をしていたのではないかとも言われています。
これら一連の事件では、多くの被害者がいますが亡くなった人は一人もいません。そのため、この説では、軍が人体実験を目的として、死者が出ない程度の毒ガスを密かに撒き散らしていたのではないかと考えられています。
1944年に事件が起きた時、マトゥーンに住んでいた住人の一人は、軍に所属していた弟から聞いた話として、「当時、ナチスが開発した毒ガスを手に入れた軍は極秘で人体実験を行っていた」と証言しています。
もし、この証言が本当なら、捜査当局に圧力をかけて真実を隠蔽することもあり得るのではないでしょうか。警察が不自然な「集団ヒステリー説」を発表したことにもうなずけます。
ただし、この証言が本当だという証拠はありません。
復讐説
最も有力な説とされているのが、1944年の事件が起きた当時、マトゥーンに住んでいたファーリー・ルウェリンという青年が犯人であったというものです。
1944年に起きた事件では、一連の事件の被害者たちの多くは同じ高校に通っていたことがある同級生でした。また、この学校で校長を勤めていたことのあるフランシス・スミスという女性は、3度もマッド・ガッサーに襲われています。
そして、ファーリーも被害者たちと同じ高校に通っていたことがある同級生でした。
ファーリーは、高校時代は優秀な成績を残し、難関大学の一つであるイリノイ大学へと進学しています。しかし、大学を卒業して地元に戻ってきたときには、アルコール中毒になっていました。
ファーリーは同性愛者でした。推測ではありますが、これが心に闇を抱える原因になったのではないかと思われます。ファーリーが大学に通っていた1930年代、同性愛者に対する世間の視線は、とても厳しいものでした。
心に闇を抱えて戻ってきたファーリーは、高校の同級生たちにも冷たい視線を向けられていたことを思い出したのでしょう。復讐をすることを考え始めます。地元の住民は、30歳を過ぎたあたりからファーリーの奇行が目立つようになったといいます。
ファーリーは自宅の庭に実験室を作り、その中に様々な薬品を持ち込んでいました。
そしてある日、事件が起きます。ファーリーの実験室で大きな爆発が起きたのです。ファーリーは無傷でしたが、「何が起きたのか」という周囲の人間の問いかけに応えることはありませんでした。マッド・ガッサーによる攻撃が始まる数日前のことでした。
警察はこの事実を掴んでいました。実験室の爆発は何らかの毒ガスを作っていたものと考えられました。
ファーリーは警察に拘束され、取り調べを受けることになりましたが、嘘発見機のテストにパスしたため釈放されてしまいます。ただし、ファーリーは釈放後、精神病院に送られ、そこで人生を終えることとなりました。
警察がファーリーを拘束した後、マッド・ガッサーによる犯行は起きていません。さらに、警察はファーリーを釈放した直後に「集団ヒステリー説」を発表しています。
ファーリーの父親は地元の名士で、町内の人々の信頼を集めていたため、なんらかの力が働き事件が隠蔽されたのではないかとも言われています。そして、ファーリーが犯人だとわかっていたから精神病院に送ったのではないでしょうか。
この「復讐説」も1933年の事件に関して説明できません。しかし、ファーリーはヘイマーカーの事件を知っていて、それを利用したとも考えられます。
やはり、ファーリーがマッド・ガッサーの正体だったのでしょうか?それとも、警察が発表したように、工場から有毒物質が漏れ出したことをきっかけに集団ヒステリーを起こしたのでしょうか?あるいは、真相は別のところにあるのでしょうか?
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