見た者を1週間後に呪い殺すという「呪いのビデオ」
鈴木光司さんの小説を原作とした映画「リング」はジャパニーズホラーを代表する作品として、公開から20年以上経過した今でもホラー映画ファンを魅了し続けています。
映画「リング」の中で、呪いの元凶とされるのは貞子ですが、貞子の母親である山村志津子は、明治の時代に実在した人物「御船千鶴子」がモデルであると言われています。
御船千鶴子の生涯
明治19年7月17日、御船千鶴子は熊本県で漢方医の夫婦の間に次女として生まれました。千鶴子は生まれつき耳に障害があり、成人する頃には、左耳はほぼ聞こえなかったと言います。
17歳の頃、姉の夫である清原猛雄に「お前は透視ができる人間だ」と催眠術をかけられたことをきっかけに、超能力者としての修練を始めました。
22歳の頃には、姉夫婦が開業していた治療院で透視能力を使った治療も行っていました。そして、その頃、陸軍の中佐と出会い、結婚していましたが、ある日、夫の財布からお金が無くなるという事件が起きました。
千鶴子は透視能力を使い、夫の財布から無くなったお金を探し出すことに成功します。しかし、その場所は、姑が使っていた引き出しの中でした。そのため、疑いをかけられた姑は、自殺未遂を起こしてしまいます。
これが原因となり、夫とは離婚。実家に戻った千鶴子は、数々の不思議な現象を起こします。
たとえば次のような現象起こしたと言われています。
- 病に苦しむ人の病名を言い当てた
- 手をかざすことで病気の治療をした
- 日露戦争で遭難した兵士の行方を探し当てる
- 透視によって炭鉱を発見
- 樹皮の下にいる虫を言い当てた
- 海で紛失した指輪の場所を言い当てた
このような不思議な現象は次第に噂となり、学者の耳にも届くようになりました。
明治43年4月10日、東京帝国大学心理学科助教授の福来友吉は千鶴子の透視実験を行います。
透視実験
実験の方法は、両面に錫箔を塗ったカードを厚紙2枚で挟み、その内容を透視するといったものでしたがこの実験は失敗に終わりました。
千鶴子は、失敗の理由について「心が定まらない」と答えました。
数時間後、福来教授は別の実験を行いました。蓋を紙で封をした磁器製の茶壷の中に名刺を入れ、それを透視するといったものでした。
今度は見事に、名刺の文字を言い当てることができました。
この結果から福来は、千鶴子の透視能力を確信。実験結果を心理学会で発表しました。これが新聞にも取り上げられ、千鶴子の能力は「千里眼」として大きく話題となりました。
同じ年の9月14日、今度は東京帝国大学理学部教授の山川健次郎による実験が行われました。新たな実験は鉛管の中に入れられた紙の文字を透視するといったもので、これも見事に成功。
しかし、それは山川が用意したものではなく、福来が練習用に千鶴子に与えていたものだと発覚。これがきっかけとなり、新聞では千鶴子の能力に対する否定的な論調が強まっていきました。
千鶴子は次第に追い詰められ、翌年の明治44年1月18日、服毒自殺を図り帰らぬ人となってしまいました。
能力の真偽
千鶴子がこの世を去ったのは24歳。あまりにも早すぎる死でした。
千鶴子の能力は、批判されているように偽物だったのでしょうか、それとも…
彼女の自殺によって、その真相を知る者は誰もいなくなってしまいました。しかし、実験方法に問題があったのは間違いないようです。
千鶴子の能力を試すために行われた実験では、観察者に背を向ける形で透視が行われていました。また、時間も10分以上をかけていました。そのため、何らかの方法で密封された封筒を開けて、中身を見ていたのではないかと疑われています。
東京高等師範学校の後藤牧太教授は、千鶴子が行った実験と同じように、のり付けした紙を自ら作り実験したところ、唾で濡らすことで封を開けて中身を確認し、その後、肌にあてて乾かすことで再び元に戻すことに成功しました。
さらに、紙ではなくハンダで密封され開封が不可能だったものに関しては、千鶴子は一度も透視に成功することはありませんでした。このことが、疑惑をさらに深めています。
やはり千鶴子の千里眼は偽物だったのでしょうか…
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