タマムシュッド事件!オーストラリア史上最大のミステリー

タマムシュッド事件!オーストラリア史上最大のミステリー

1948年、オーストラリアの海岸で身元不明の男性の遺体が発見されました。

この男性の死には多くの不可解な点があり、事件発生当時から多くのミステリーファンが真相の解明をしようとしてきましたが、いまだに事件は解決に至っていません。

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遺体の発見

1948年12月1日の早朝、オーストラリアのアデレードにあるソマートン公園の海岸で、身元不明の男性の遺体が発見されました。警察は男性の身元について調べましたが、手がかりになるようなものがなく、発見された公園の名前にちなんで、男性はソマートンマンと呼ばれるようになりました。

ソマートンマンは、壁にもたれて眠っているような体制で亡くなっていました。当初、警察は、何らかの病気で亡くなった自然死であり、事件性はないと考えていました。しかし、次第に奇妙な事実が浮かび上がってきます。

遺体の検視を行なった結果、ソマートンマンが死亡したのは午前2時ごろだと推定されました。遺体が発見されたのは午前6時半ごろなので、死亡してから遺体が発見されるまでの時間は4時間ほどとなります。

身体には目立った傷などはありませんでしたが、脾臓が肥大しており、胃や肝臓などでは内出血を起こしていました。これは、何らかの毒物を摂取したものと考えられました。また、検視を担当したドワイヤー博士も、ソマートンマンの死因は自然死ではないとして、毒物、あるいは睡眠薬の大量摂取などを疑っていました。しかし、体内からは毒物などは発見することができませんでした。

所持品

警察がソマートンマンの所持品を調べたところ、タバコやマッチ、チューインガム、電車の切符などを所持していましたが、身元を特定できるようなものはありませんでした。

そして、奇妙なことに、身につけていた衣類からは、タグが全て取り外されていました。また、財布も所持しておらず、まるで意図的に身元を隠しているようでした。ただし、所持していたタバコがイギリスのブランドであったことや、容姿などから、ソマートンマンはイギリス人であると思われました。

事件の翌月、1949年の1月14日には、アデレート駅でソマートンマンのものと思われるスーツケースが発見されました。スーツケースはソマートンマンの遺体が発見される前日に駅に預けられていました。中には糸が入っており、それが、ソマートンマンが着用していたズボンの糸と一致したため、ソマートンマンのものであると断定しました。

糸のほかには、赤のチェック柄のガウン、スリッパ、下着、パジャマ、ネクタイなどが入っていましたが、それらの衣類からも身元の特定に繋がりそうなタグは全て取り外されていました。

しかし、ネクタイには「T.Keane」という名前が入っていたほか、洗濯袋やベストには同じ名前が入っていました。ただし、ネクタイと洗濯袋に入っていた名前が「k,e,a,n,e」だったのに対して、ベストに入っていた名前は、最後の「e」が抜けている「k,e,a,n」でした。

警察は、この名前の人物が行方不明となっていないか調べましたが、オーストラリアにもイギリスにも、そのような名前の該当者はいませんでした。

そして、ベストに入っていた名前から「e」が抜けていたことから、自分の名前を間違えるのはおかしいとして、これは捜査を撹乱するための偽名だったのではないかとも考えられています。

タマム・シュッド

警察がソマートンマンの衣類を調べていると、ズボンには隠しポケットが縫い付けられていることがわかりました。そして、そのポケットの中から「タマム・シュッド」と書かれた紙片が発見されました。

「タマム・シュッド」と書かれた紙片

当初、警察はこの紙片が隠されていたことに頭を悩ませました。この文字が何を意味しているのか、まったく見当がつきませんでした。

しかし、図書館の司書に捜査の協力を依頼すると、この「タマム・シュッド」が、ペルシア語で「終わった」「済んだ」という意味を表していることがわかりました。さらに、この紙片は、ペルシアの詩人、ウマル・ハイヤームの詩集「ルバイヤート」から切り取られていることが判明しました。

ハイヤームの詩集から、わざわざ「タマム・シュッド」の部分だけを切り取り、それを隠しポケットに入れてあった理由は今もわかっていません。しかし、警察の懸命な捜査によって、この詩集の持ち主が判明します。

この「タマム・シュッド」の部分が切り取られたルバイヤートを持っていた男性に警察が事情を聞いたところ、路上駐車していた車の後部座席に知らない間に投げ込まれていたと言います。そして、この男性が持っていたルバイヤートを調べたところ、裏表紙に暗号のようなメモが残されていました。

暗号のようなメモ

アルファベットだけを抜き出してみると、次のような文字が書かれていました。

WRGOABABD
MLIAOI
WTBIMPANETP
MLIABOAIAQC
ITTMTSAMSTGAB

このアルファベットの配列は意味を持っておらず、何らかの暗号であると考えられました。そして、オーストラリアの国防省も暗号の解読に乗り出しましたが、いまだに暗号の解読はできていません。

さらに、ルバイヤートには電話番号がメモされていました。その電話番号は、遺体発見現場の公園からすぐ近くの場所に住んでいる女性のものでした。さらに、ルバイヤートの最初の持ち主が、その女性であったことが判明します。女性の名前は、ジェシカ・エレン・ジョー。

警察がジェシカから事情を聞いたところ、この「ルバイヤート」は、アルフレッド・ボクソールという軍人に渡したと言います。そのため警察は、ソマートンマンの正体はボクソールの可能性があると考えました。しかし、捜査の結果、ボクソールは生きていることが判明します。しかも、女性から貰ったという「ルバイヤート」は、まだ所持しており、タマムシュッドの部分も切り取られていませんでした。

ジェシカは、ソマートンマンのことは、まったく心当たりがなく、現在は結婚しているため、自分の情報は出さないよう、警察に強く懇願しました。

ジェシカの言い分が正しいのならば、無関係の人間の電話番号が、事件と何らかの関わりがある「ルバイヤート」に書かれていたことになります。いったい、どうゆうことなのでしょうか。謎は深まるばかりでした。

しかし、後に、作家のフェルタスがジェシカにインタビューを申し込むと、明らかに何かを隠しているようだったと言います。

そして、2013年には、ドキュメンタリー番組「60ミニッツ(シックスティー ミニッツ)」に、ジェシカの娘だと名乗る人物が出演しました。この女性は、トムソンと名乗り、「60年前、母は警察に嘘を言っていた」と語りだしました。

トムソンが言うには、ジェシカとソマートンマンは共に、旧ソビエトのスパイであったと言います。さらに、トムソンは母から聞いた話として、「警察の上層部は事件の真相を知っているが隠蔽している」と番組内で語りました。

マーシャル事件

タマムシュッド事件が起こる3年前の1945年7月、シドニー近郊のアシュントン公園で、ジョゼフ・マーシャルという34歳の男性が遺体となって発見されました。

この事件、マーシャルの遺体の上には、ウマル・ハイヤームの詩集「ルバイヤート」が置かれていました。

ソマートンマン事件でも、ルバイヤートが大きな謎となっています。これは単なる偶然なのでしょうか。ルバイヤートは確かに有名な詩集ですが、それほど普及しているとは言えません。この二つの事件には何らかの関係があるのではないでしょうか。

さらに、この事件には不可解な点があります。

マーシャルの遺体の上に置かれていた「ルバイヤート」ですが、警察の記録では、イギリスの出版社、メシュエンパブリシングで発行された第7版だとされています。しかし、メシュエンパブリシングで発行されたルバイヤートは第5版までしか存在しません。存在するはずのないものが警察の記録として残されているのです。

さらに、マーシャルの遺体を検視した一人、グウィネス・ドロシー・グラハムという人物が自宅で亡くなっているのが発見されました。

グラハムは自宅で手首を切った状態で発見され、一見すると自殺のようでした。しかし、遺体を詳しく調べてみると、死因は溺死でした。手首を切った状態で発見されているのに、溺死だったのです。

なお、このマーシャル事件で、最初に遺体となって発見されたジョゼフ・マーシャルの兄、デヴィッド・マーシャルは、シンガポールがイギリスから独立した際に、シンガポールの初代大統領となっています。

マグノソン事件

さらにもう一つ、タマムシュッド事件に関連していると思われる不可解な事件があります。

タマムシュッド事件が起きてから半年後の1949年6月6日、ソマートン公園から20キロの場所でその事件は発生しました。

クライヴ・マグノソンという2歳の男の子の遺体が袋詰めとなった状態で発見されました。そして、遺体の横には父親のキース・マグノソンが意識不明の状態で倒れていました。

警察が息子の遺体を調べたところ、死後24時間以上経過していることが判明。意識不明の状態で発見された父親は、そのまま精神病院へと搬送されました。

この事件にもいくつかの不可解な点があります。

まず、この二人を最初に発見したのは、ニール・マクレーという人物なのですが、警察の取り調べに対して、「二人を夢の中で見たので遺体を発見した」と語っています。

さらに、死亡したクライヴ・マグノソンの母親は、「夫はタマムシュッド事件の真相を探っていた」「それが原因で殺された」と発言しており、「警察に近づくな」と脅迫されたことも明かしています。

H. C. レイノルズ

2011年、アデレードに住む女性が亡くなった父親の遺品を生理していると、「H. C. レイノルズ」という人物のIDカードを発見しました。

見ず知らずの人物のIDカードであったため不思議に思った女性は、マチェイ・ヘンネバーグという学者に連絡を取り、カードを調べてもらいました。すると、このIDカードは、第一次世界大戦中にアメリカで発行されたもので、外国行きの船員に渡されたものであることがわかりました。

「H. C. レイノルズ」のIDカード

さらに、このIDカードの写真が、ソマートンマンにそっくりであることが判明します。特に、耳の形が似ていました。ソマートンマンの耳には特徴があり、上部のくぼみが下部のくぼみよりも大きくなっています。このような形状は非常に珍しく、人口比で1%程度しかいないと言います。また、ホクロの位置なども一致しました。

この「H. C. レイノルズ」という人物とソマートンマンは同一人物の可能性が高いと思われました。しかし、アメリカ、イギリス、オーストラリアのあらゆる公的記録を調べてみても「H. C. レイノルズ」という人物の記録は見つかりませんでした。

スパイ説と自殺説

タマム・シュッド事件には多くの謎が残されていますが、いまだに何も解明されていません。しかし、ソマートンマンの死について、大きく分けると2つの説が唱えられています。

①スパイ説
事件が起きた1948年は、東西冷戦の真っ只中でした。ソマートンマンは、旧ソビエトのスパイであった可能性が高いとされています。そして、何らかの不都合がありソマートンマンは暗殺されたのではないかと言われています。

②自殺説
ソマートンマンと、ルバイヤートの持ち主であったジェシカは恋人であったとも言われています。ソマートンマンはジェシカに振られたため、自殺したのではないかというのが、この説です。しかし、徹底的に身元が隠されていたことや、隠しポケットに入っていた暗号などから、自殺説の可能性は低いように思えます。

はたして、ソマートンマンの正体、事件の真相はどのようなものだったのでしょうか。
多くの謎を残したこの事件。いまだに真相はわかっていません。

2021年5月、ソマートンマンの遺体が掘り起こされ、DNA検査が行われることとなりました。検査を担当する南オーストラリア法科学研究所は、事件から70年以上経過していることや、ホルムアルデヒロで遺体に防腐処理されていることなどから、検査にはかなり時間がかかるとしています。

DNA検査によって事件の真相が解明する日はくるのでしょうか。

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